日根野庄・堺

 根来寺から粉河寺を経由して
 粉河街道に沿って山を越えて和泉国へ。
 すると、そこが日根野庄です。


○日根野庄


犬鳴山七宝滝寺入り口
  現在はハイキングやバーベキューで賑わっています。
  七宝滝寺はここから山道を1km歩くとのことだったので、
  カメラの重さを考慮してあきらめました。

 

    

 入山田の鎮守、火走神社(滝宮)
  

 

 本殿の中の春日造のこの建物は重文指定されているそうです。


   

 九条政基 居所跡(左)と長福寺跡(右)
  左写真の右中程のタマネギ小屋のあたりが、政基の
  いた長福寺跡だと言われています(チョークジという
  地字が残っている)。
  現在の粉河街道から一本東に入った小道がそばに
  通っていて、これが古道ではないか、とかんがえられます。


    

 慈眼院 多宝塔(左)と本堂(右)

  慈眼院は日根野の鎮守、大井関神社(日根神社)
 の神宮寺です。ちなみに慈眼院というのは九条政基の法名です。
多宝塔は国宝。本堂は重文。とても美しい建造物です。

 

   

 日根野庄遠景
  関空ができてかなり景観は変化したのでしょうが、
  まだまだこんな所も残っています。



○堺

 わたしは現在の東京ー京都ー大阪は
 室町時代の京都ー堺ー博多に相当する
 のでははないか、と思っています。 
 その意味で、堺の見学は重要な意味を持つのですが、
 驚いたのは中世の堺のまちの小ささですね。
 いま、発掘の成果から、確実に中世の町だったといえるのは
 「大小路(おおしょうじ、とよむ)」と「宿院」のあいだくらいだそうです。

 路面電車「宿院」駅近くの安田生命ビル(写真右端)
  ここから大量の銭、銭の鋳型が出土しています。

   

「宿院」付近

 この近くに開口(あぐち)神社があって、その隣から
 会合衆の屋敷跡が出ました。また、右の写真付近から、
 応永の乱当時の堀が発掘されました。